どうも、とみです。
僕の自宅にはテレビはありません。ここ数年見たい番組も無かったので、処分してしまいました。テレビが無い家とかありえなくない?と多くの人が思うでしょうけど、意外と悪く無いですよ。
僕の場合は、心揺さぶられるだけのニュースだったり、無駄なCMだったり、社会人で精神がすり減ってるからかバラエティ見ても全然笑えない。見てる時間に対して得られる情報とか、幸福度が少なかったんですよね。
もちろん、好きな番組があったり、毎週放映が楽しみなドラマだったり、良い番組だけを取捨選択したり出来る人も多いとは思いますが、当たり前にある家電も、本当にそれを持つ必要があるのか?少し考えてみると、新しい道が開けるかもしれません。
何かをやめるという事は、その時間を新しい何かに当てる事が出来るんですからね。
しかし、そんな反テレビっ子の僕にとっても、「ダーウィンが来た」が見れない事だけは、大きな損失です。あの番組は、個人的にめっちゃ大好きなんですよね。
最近実家に少し帰省しましたので、その際に多摩川の流木の動物模様の特集を見ました。
ほんまよかった~ やっぱダーウィンが来たは最高な番組や~
劇場版 ダーウィンが来た! アフリカ新伝説 [ (ドキュメンタリー) ]
僕は生まれ変わったら鳥になりたいんですが、本当に生まれ変われてしまった場合に備え、ハンターからの逃れ方や、狩の方法などは大いに参考になるなと思っています。笑
まぁそれは半分冗談なんですが、もう一つ思うのは、世界が広がるってことです。よく外国に行ったりするとそんな事をいう人がいますが、それと似てると思います。だけど外国でもそれはあくまで人間という枠組みは変わりません。
そりゃ僕含め、皆さん人間だから当たり前なんですけど。
野生に戻って動物同様の暮らしをしたいってわけではないんですが、例えば人間関係だったり、仕事だったり、住まいだったり、お金だったり、そんなものって本当に生きるために必要なのかな?
人間という視点から離れて見てみると、そんなものは、多摩川の中州で暮らす二ホンイタチには不要なわけです。
自分が当たり前に必要だと思っている他のものも、二ホンイタチにとってはこれっぽっちも重要じゃないんだろうな。逆に二ホンイタチにとっては、中州に取り残された流木が命を懸けて死守したい狩場だったりするんだな。皆大変だけど頑張ってるなあ。
僕はよくお金の事をブログに書いていますが、決してお金持ちになりたいわけではありません。
僕の世界の中に、仕事と言うものが不要で、仕事を辞めるためにはお金が必要。しかし仕事をしてるだけでは、一生を仕事に捧げないとお金が足りない。
それが嫌だからお金の勉強をしているわけです。
仕事を辞められたら少し幸せになれるでしょう。でも辞めたタイミングではもう少しお金の勉強を続ける必要はあるでしょう。
それでも、そこから数年立てば資産も安定して、お金からも解放されるだろうなと思います。
僕にとって、お金だって仕事同様、不要なものの一つです。仕事ほどじゃないけど。
そんな環境になったら、何が出来るかな。やはり一次産業系の活動はしてみたいですね。除雪だったり、畑仕事だったり、マリンアクティビティだったり。そこにお金の要素は必要無いです。まだまだ先だけど。楽しみやなあ。
もちろんその時は、今と違った悩みがあるかもしれません。でもそれが本当に嫌な事なら、また同じようにそれから逃れる方法を模索し、努力するだけです。
それでは、また。